エゾノコンギクは野山のやや湿ったところに生育し、時に日当たり良い岩場や礫土でも見られ、定山渓でもっとも普通に見られる秋の野菊の代表であり、二見吊橋の下、二見岩周辺で多く見られる。高さは50~100cmになり、茎は上部でよく分枝し、葉とともに短い剛毛が密生して、さわるとザラザラする。葉は互生し長楕円形で3本の脈が目立ち縁には大きな鋸歯がまばらにある。根生葉は、花のころには枯れてしまう。花期は8~10月。
頭花は直径2.5㎝ほど。舌状花は20枚以下で頭花の外側をぐるりととりまき、中央部に黄色の筒状花が多数集まっている。舌状花は白っぽいものから紫色に近いものまで、色の濃淡に変化がある。
舌状花が20枚以上あれば、「ユウゼンギク(友禅菊)」か「ネバリノギク(粘野菊)」で、どちらも北アメリカ原産の外来種(帰化植物)である。
エゾノコンギクの漢字表記は「蝦夷野紺菊」であって、「蝦夷の紺菊」ではない。野紺菊は園芸種の黄菊、白菊と違い、正真正銘の野生種、しかも紺色の菊であることからの和名。ノコンギクは北海道から九州までの、低地から山地に広く分布しているキク科シオン属の多年草だが、北海道産は大型であることから「蝦夷」を付けて区別されてきた。しかし最新の図鑑柄は「ノコンギク」で統一されている。現在「ノコンギク」を母種とした園芸品種「紺菊」まで作出されている。
文部省唱歌
昭和17年3月に発表された旧文部省唱歌の『野菊』は札幌市山鼻生まれの石森延男(児童文学者)の作詞である。定山渓で見たエゾノコンギクを思い浮かべて書いたという。当時の石森氏は文部省教科書監修官。『野菊』の作詞者というだけでなく国定教科書を作る直接の当事者でもあった。
今も『野菊』に感慨を覚える世代がある。ものみな戦争へと走り出した時代、童謡や唱歌さえ戦意高揚が第一とされた時代にあって、戦争とは無縁の『野菊』に、わずかなすくいと清々しさを感じ取った人たちである。
「軟弱すぎる。もっと勇壮な歌にしろ!」
文部省の教科書決定に立ち会った軍部の担当者が石森氏に詰め寄った。
「確かに勇壮さは日本精神の荒魂(あらみまた)。けれど和魂(にぎみまた)もまた日本伝統の精神。万葉集の和魂の心こそ、この『野菊』である。」と必死の弁舌で粘り勝ちした石森延男であった。
一、
遠い山から 吹いて来る 小寒い風に ゆれながら
けだかくきよく におう花 きれいな野菊 うすむらさきよ
二、
秋の日ざしを あびてとぶ とんぼをかろく 休ませて
しずかに咲いた 野辺の花 やさしい野菊 うすむらさきよ
三、
霜がおりても まけないで 野原や山に むれて咲き
秋のなごりを おしむ花 あかるい野菊 うすむらさきよ
インフォメーション
- 科名・属名
- キク科
- 花期
- 8~10月
- 花の色
- 紫
カテゴリ
- 分類
- 花・植物
- 季節
- 8月、9月
- 色
- 紫